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新しい元号も決まり、いよいよ平成という時代が終わりを告げようとしています。

昭和生まれといっても還暦以上の大先輩でもない限り、40代50代であっても平成のほうが人生トータルで長く過ごしてるわけで、結局は平成の人間と言ってしまっても過言ではありません。

ということで平成における風俗を振り返りたいと思い立ちました。

第1回目は「フードルブーム〜イメクラと性感ヘルス」と題して、90年代に都内で大流行したイメクラと性感ヘルスについて書いてみたいと思います。
 

イメージクラブの誕生

金融的には80年代中盤から後半にかけて、もはや気まずいニオイがあったと言われていますが、世間一般的には平成元年(1989年)から平成10年(1998年)くらいまでは、まだまだ歓楽街に活気があり、マンションイメクラや雑居ビル内に店舗を構える「無届け店」が池袋、大久保、新宿、渋谷を中心に都内でどんどん増えていきました。

無届け店が増えた背景には、1.に風俗遊びをする男性客の数と届け出店の数のアンバランス2.にバブル崩壊以後の物件の入居のしやすさによる出店コスト安3.1990年前後のエイズ騒動によって非本番系風俗のニーズが高まった、などがあったと推測されます。

合わせて2000年初頭の大摘発時代までは無届け風俗店に対する罰則がゆるかったというのも大きな要因の一つと言えます。

またブルセラ店の流行による「制服コスプレ」の認知や、ブルセラやポケベル売春をしていた女子校生が卒業後、風俗のお仕事マーケットに大挙してデビューしてきていたことなどもイメクラブームの一因となりました。
 
当時の大衆風俗と言えば、ピンサロやファッションマッサージに見られる画一化された男性客が受け身のサービスであり、女性を脱がしたり触ったりして感じさせたあとに性的サービスを受けて射精するイメージクラブは、それらのカウンターカルチャーとしての側面も持っていたと言えます。 

本格的にイメクラができたのはバブル崩壊後、1990年代初頭といわれる。それまで会員制で「夜這いクラブ」という業態でアングラに活動していた。この頃は夜這いプレー後に客がマスターベーションするといったサービス内容であった。(wikipediaより)
※諸説あり。1986年頃にできた鶯谷の『夢』が発祥とも言われている。

新大久保のティアラ池袋のハロウィンを皮切りに、新宿のトゥルーラブハレンチ女学園(旧ジュリアナ歌舞伎)、渋谷のミルク5ドアーズなど超人気有名店が各駅に誕生しました。

イメクラが増えていくに連れて、上記の夜這いコースに加え、セクハラコースとその逆バージョン(逆夜這いや逆セクハラ)、覗き、学校、病院、電車、メイド、トイレ…と各店が様々なプレイ企画を打ち出して差別化を図ろうとしていました。

元々が無届け=違法なので、プレイルームの増改築などもどこにお伺いを立てる必要もなく、店主のアイデア次第で様々な切り口のプレイやルームが誕生しました。
 


性感ヘルスの誕生

コスチュームを着た女性を攻めたあとで、スキンフェラでフィニッシュが基本サービスだったイメージクラブのカウンターカルチャーとして流行したのが素股&全身リップを前面に押し出した「性感ヘルス」です。

性感ヘルスの誕生に外すわけに行かないのが乱コーポレーションの存在です。

元々性感マッサージ店系統のお店(渋谷ワイルドキャッツなど)を展開していた同グループが、素股や全身リップ、アナルリップ、生フェラを基本サービスとした「基本男性が受け身」の、当時としてはハードサービスのお店をオープンさせたのが性感ヘルスの始まりと言われています。
(93年頃に池袋のすっぽんが看板プレイに入れたのが始まりと言われている|諸説あり)

また性感ヘルスが流行し始める平成6年〜7年(1994年〜95年)は、バブル崩壊の波がサラリーマンの懐事情を直撃しはじめた頃でもあり、イメージクラブの価格帯(60分20000円、写真指名料2000円入会金5000円)よりも安く設定した(60分18000円、写真指名料・入会金無料)のもユーザーに受けいれられた一因であると言えます。

性感ヘルスの流行は、今ではごくごく当たり前のヘルスサービスとなっている生フェラと素股の普及の大きな要因となり、90年代中盤からはイメージクラブでも生サービスや素股を採用するお店が増えていきました。
 


風俗専門誌の流行

またこれに呼応するように、次々と増えていったのが「風俗情報専門誌」です。

歌舞伎町タイムス改めナイタイマガジンを筆頭に、元ナイタイの社員が独立して発刊したMANZOKU、夜遊び隊、CITY PRESS、Night Walker、ヤンナイをはじめとする風俗情報専門誌が各出版社から次々と発刊され、またそれ以外のエロ本やオヤジ系週刊誌やスポーツ新聞、夕刊紙内の歓楽街コーナーもドンドン充実していきました。

外看板や店舗住所などを堂々と謳えない無届け店(情報源)と、遊び場を探している男性客(ユーザー)のマッチングが需給双方で高まっており、またコンビニの拡充による販路確保も風俗誌の反映に一役買いました。

またこの頃、てぃんくるYUKAI、Bustierなどの高収入女性求人誌も絶好調で、素人の女の子が無届け風俗店で働くきっかけとなっていました。
 


フードルブーム

風俗情報誌がこぞって表紙や巻頭グラビアで顔出しOKの風俗嬢を起用し始めると、予約の取れない人気嬢が現れはじめます。彼女たちは「風俗アイドル=フードル」と呼ばれ、一大ブームを巻き起こします。

元祖フードルと呼ばれた高田馬場「ウィズユー」の可愛手翔ちゃんや、新宿「アーミーガールズ」の乙姫ちゃん、新宿「元祖パイパン倶楽部」のちかちゃん、池袋「ルージュ」の玲亜ちゃん、池袋「サファリパーク」のエンジェルちゃん、恵比寿「ニューヨーク」の流宇ちゃんあたりが特に有名で、その他にもAV女優が撮影のない時の副業として在籍していたり、ヌード写真集を発売する嬢まで出て来ます。

フードルブームが加熱していく中、電話を鳴らすためだけの非在籍嬢や、脱がない舐めないキスNG手コキだけといった在籍店の基本サービスの出来ない地雷嬢、特別価格を設ける嬢などが出て来て、素人の女の子の中からフードルが生まれる=シンデレラストーリーからは徐々に逸脱していきます。
 
平成7年頃(1995年)になってくると、不景気も相まって無駄打ちを敬遠する本物志向の客が増えて来たこともあり、客寄せパンダやサービス地雷といった羊頭狗肉な偽フードルを駆逐するように顔出しはしていないけどルックスサービス共に兼ね備えた隠れナンバーワンが台頭してきます。
 
口コミやインターネット媒体が世に出始めたのもその頃です。