【デリヘル27年史①後編】風俗の歴史を変えた「デリヘル」誕生秘話…名づけ親は風俗情報誌だった!?
2025/9/24

6月の改正風営法施行ではマンションタイプのメンズエステが大きな打撃を受け、風俗店は今後さらにデリヘルのような無店舗型へとシフトしていくとみられている。
1998年に誕生したデリヘルは現在までどのような変遷をたどってきたのか。風俗ジャーナリストの生駒明氏が解説する第1回の後編だ。


警察は派遣型本番風俗に手を焼いていた

’80年代後半から’90年代にかけて、都市部においてデートクラブやホテトルといった無店舗型の違法風俗店が続々とオープンし、盛んになっていた。
それに伴いピンクチラシ、ピンクビラが繁華街のみならず一般家庭にも投げ込まれ社会問題化する。
警察は実態の分からない派遣型本番風俗に手を焼いていた。

こういった店を管理下に置くために、1998年に風営法が改正され、1999年4月1日に新法が施行される。
「無店舗型性風俗特殊営業」が設置され、デリヘルが性風俗店の一形態として規制されることとなった。
つまり、出張型風俗が合法化したのである。

改正法ではデリヘルは「性的好奇心に応えるサービスを提供しつつも、売春防止法で禁止された性交(本番行為)には至らない」という建て前で運営され、それまでのホテトルやデートクラブとは一線を画すものだった。
デリヘルの誕生は、運営を風営法の届出制として公安委員会の管理下に置くことにより、派遣型風俗の実数を把握。
さらに違法本番店を排除するためであったといわれている。

「届け出を出した後、一斉に潰されるのではないか」との懸念を持っていた業者は、法改正後しばらくの間、警察の出方を見守っていた。
ところが届け出を狙い撃ちにした手入れは起こらなかった。
それを見て闇で営業していた業者たちは安心し、摘発に怯えることなく経営するために雪崩を打って警察へ駆け込み、届け出をしたという。

深夜24時を過ぎれば無許可の違法風俗店しか開いていなかった盛り場に、警察のお墨付きを得たデリヘルの受付所(今でいうホテヘル)が朝まで幅をきかすようになった。
これは画期的なことだ。なお現在は当時と異なり、’05年の風営法改正によってホテヘルは深夜0時から午前6時までの営業が禁止されている。
受付所のないデリヘルは今でも24時間営業が可能だ。

デリヘルの登場後、取り締まりが厳しくなったこともあり、違法の本番風俗であるホテトルは年々数を減らしていく。
現在は携帯電話が普及し、ピンクチラシを貼る公衆電話自体が激減したこともあり、ホテトルはほとんど存在しない。


名付け親は『MAN-ZOKU』だった?

「デリヘル」という名称は、日本で独自に作られた和製英語となる。
「出張ヘルス」「派遣型ヘルス」とも呼ばれるが、これを「デリバリーヘルス」と名付けたのは、風俗情報誌の『MAN-ZOKU(マンゾク)』だといわれている。

デリヘルが登場する時代的な背景には、性風俗が伝統的な店舗型から、より非対面型、あるいはテクノロジーを介した形態への移行があった。
’80年代にはテレクラや伝言ダイヤルといった電話を介したサービスが隆盛し、’90年代にはインターネットの普及によって出会い系サイトが登場。
これらを媒介とした援助交際も注目を集めていた。

性風俗産業が赤線や歓楽街の店から、非対面型のテレクラ、出会い系サイト、そして無店舗型のデリヘルへと続く流れは、空間的に集中した形態からより分散化し、非空間化したことを示している。
店舗型風俗への厳しい規制と、インターネットや携帯電話といったテクノロジーの発達に後押しされて、デリヘルの需要が高まっていくのは、このトレンドの分かりやすい表れであった。

風俗遊びをする客にとって、デリヘルは深夜24時以降もサービスを提供しており遊びやすかった。
時間を気にせずいつでも利用できること、しかもホテルだけでなく自宅にまでデリバリーしてくれるシステムが受けた。

客は店に足を運ぶ必要がなく、プライベートな空間でサービスを受けられることから、「恋人を自室に招くような親密でリラックスした感覚を味わえる」「一般の店舗型風俗に比べて広い部屋で楽しめる」ことが好評を得た。
さらに「店舗型風俗のように待合室で他の客と一緒に順番を待つことがない」「店舗内で知人に会う可能性がない」など、プライバシーを守ることができるのも魅力だった。

風俗嬢を自宅に呼んだり、ホテルで待ち合わせする形態は、それまでは主に本番が前提だった違法なホテトルやデートクラブが行っていたものだった。
そのため、当初はデリヘルも本番ができるものと勘違いする人が多数いた。

また、当初は店舗型風俗で遊び慣れた人たちの多くが、プレイルームの料金(ホテル代)が発生することに違和感を覚えた。
筆者もそのうちの一人である。1999年から’00年にかけて、名古屋、大阪、福岡、熊本などの西日本の風俗店を定期的に取材で回っていた。
週刊誌や月刊誌などに掲載する風俗嬢の名鑑写真の撮影とインタビューが仕事だった。
取材でデリヘルの料金システムを確認している時に「プレイ代に加えてホテル代や交通費がかかることが割高だな」と思ったものだ。
この頃はまだ出張型の激安店はほとんどなく、店舗型風俗が元気だったので、「手軽に楽しむなら店舗型が一番」と感じたものである。


風俗業界に与えた大きなインパクト

デリヘルの登場は、風俗店で働く人にも変化を与えた。
経営者にとっては店舗を構える必要がなく、店舗維持費やスタッフの人件費を抑えることができる。
店舗型に比べて、低い初期投資で開業できるので参入しやすかった。

経営者は事務所を自宅兼用にするなど、物理的なインフラを最小限に抑える運営形態を選択することができた。
当局が店舗や受付所の規制に重点を置く傾向がある中で、大規模な店舗施設が不要なことは摘発されにくいことを示していた。
加えて「電話1本あれば開業できる」といわれるほど参入のハードルが低いため、その手軽さから一気に店舗数を増やしていくことになる。

また、女性にとっては働きやすい環境が整っていた。
店舗型とは違って、深夜に働けるのは大きなメリットとなった。
店舗型と違い部屋数と出勤女性数を合わせる必要がないうえ、早番・遅番という2交代制の縛りもないことから、自分のペースで仕事ができる店が多いのも好都合だった。

そして、キャストを客の待つ場所に車で送迎する「デリヘルドライバー」という新しい職業が生まれた。
それまで性風俗のドライバーの仕事は、店舗型風俗のスタッフが客を駅前などから送迎したり、キャストを送り迎えすることが主流だった。
キャストを客のところに車で送迎するデリヘルドライバーは、デリヘルが誕生するとともに急速に需要が増えていった。

1998年の改正で風営法が無店舗型風俗の営業を初めて規制対象として明確に位置づけたことは、風俗業界にとって重要な転換点となった。
それまで違法な本番店のやりたい放題だった無店舗型の性風俗に、規制を課すと同時に届け出を行うことで合法的に営業できる道を開いたのである。
これは、厳しい立地規制により新規開業が極めて困難になっていた店舗型風俗店とは対照的であった。

法的な営業枠組みが提供されたことで、デリヘル業界は急速な成長を見せる。
当初は首都圏や近畿圏で増加し、その後、地方都市へと拡大していくのだ。
FRIDAYデジタル

 

 


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